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2017-09-22

夢の国みてぇだ

私たちの暮らす北軽井沢は、似た背景や志を持つ人同士が集まる集落をいくつか持つ地域です。みんなここへ辿り着いた理由はそれぞれ。その内のひとつの理由を私は無視することが出来ませんでした。それはここ北軽井沢の強い魅力を作り上げているからです。

 

ルオムの森のカフェでお出ししている野菜の多くは北軽井沢北東部にある大屋原地域で採れたものです。開店前に野菜を受け取りに伺うと、ここの人たちはいつもにこやかで穏やかで、無知な私をやわらかく温かく迎え入れてくれます。大屋原は満州から引き揚げて来られた方々が入植して開拓した地域。大屋原の今の農業を支えているのは開拓した方たちのお子さんやお孫さんの世代、2世・3世の方々です。その方たちと世間話をする中で、ちらほらこんな話を耳にすることがありました。

 

・今の黒い畑があるのも、親たちが苦労して開拓してくれたおかげ 眞下豊さん(参照:過去ブログhttps://goo.gl/Bp7sbo

・母親が1歳の俺をおぶって3歳の姉の手を引き、布団2枚被って銃弾が飛ぶ中を満州から引き揚げて来たんだとよ

 

大屋原には群馬満蒙拓魂之塔があります。ここは群馬から満蒙へ開拓民として送られ犠牲となった方や開拓に従事した物故者を祀っています。国策として送り出された満州蒙古の地。食糧増産のための農業開拓を胸に向かったもののそこは現地住民から奪った畑も含まれ、略奪や襲撃に怯えるような状況。守ってくれる者もおりません。敗戦後は更に苛烈を極め、集団自決をするものや飢え・寒さ・病気から亡くなったり子供と生き別れたりすることも。満蒙開拓団約27万人のうち約8万人が亡くなったと言われています。

 

群馬満蒙拓魂之塔の隣にある大屋原公民館で出会った石井二郎さん(90)。この方は北軽井沢開拓農協初代組合長、北軽井沢開拓を牽引した清水圭太郎さんと共に、群馬県の認定を受けた優秀青年として木瀬村(現前橋市)から入植してきたそう。今では残り少なくなってしまった開拓民1世の方です。写真:大屋原公民館に飾られている清水圭太郎さんの写真

標高1,000mを超える寒冷な土地、入植当時はカラマツ林と熊笹に覆われ、痩せた荒地だったそうです。全てゼロからのスタート。木を伐り馬で曳き、熊笹を焼き払い、石をどかし切り株をこぎ、勾配を均していくところから始めました。イメージ写真:大屋原地域のカラマツ林と熊笹

伐った木で即席の宿舎をまず作り、わずかな配給食を分け合って農作業を始め、ここの気候から酪農が最適と判断し、牛を飼い肥やしを撒いて畑を大きくしていきました。写真:大屋原公民館に飾られている入植当時の様子

そして、道を作り浅間牧場から延々と水を引き、土地をみんなで均等に分けたと石井さんは教えてくれました。今や大屋原は日本でも有数の高原野菜の産地。浅間山と白根を望む広大で肥沃な大地を見つめて石井さんはつぶやきました。

 

 

 

「夢の国みてぇだ」

 

 

 

満州での辛苦、引き揚げ時の凄惨さは想像を絶します。また、何もないところから始め苦難と共に開拓していった不屈の精神には頭の下がる思いです。

ただ時代は違えど、開拓民の方たち皆さんが特殊能力の持ち主と言うわけではないと思うのです。現代の人たちもそれぞれに苦悩を抱え、そこから打ち勝たなければならない場面に必ずや直面するでしょう。壁にぶち当たった時、そこから立ち上がる勇気って誰にも備わっているんじゃないかと、この大屋原の風景を見てふと思ったりするのです。その勇気を発揮できず、日々奮闘しているわけですが。大屋原の人たちが苦労を全く感じさせず明るくしなやかで思いやりがあるのは、開拓し豊かな畑を作ってきた先人たちへの尊敬が身に沁みて常にあるからかもしれません。北軽井沢の自然は美しいですが、美しいものはそれだけでは無いんです。