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私たちが暮らすおしぎっぱの森。1783年の浅間山大噴火の押し(火砕流)から免れ残った奇跡の森です。ナラ、白樺、ニレなどの広葉樹からアカマツなどの針葉樹まで様々な木々が混ざる豊かな植生を持ち、虫や鳥、そこに生きる全てのものに分け隔てない恵みを授けてくれます。

この森を歩き続け、この森を深く知り、そしてこの森で今も炭を焼く人がいます。sumi900-003ひと昔前、薪や炭は身近な存在でした。米を炊き、風呂を沸かし、こたつや囲炉裏で暖を取る。火を起こし、炎を操って生きることが、暮らすということでした。そして、炭を焼くことも。冬になり作物が採れなくなると山に炭窯を築き、そこで価値の高い炭を作りました。かつておしぎっぱの森も冬になると炭焼きに入る男たちで賑わったそうです。

今では電気・ガス・石油・・・安価で扱いやすいエネルギーが現れ、人は炭のある暮らしを手放しました。sumi900-005おしぎっぱの森で今も炭を焼き続けるその人は小さい頃、炭焼きを手伝っていたそうです。その頃から火の面白さに心を奪われていた彼は、大人になりまた炭を焼き始めました。

炭を焼くには木を、山を知らなければなりません。身近な人を見て、自ら学び、長く森に入り続けて身に付けたものです。今や、ここで炭を焼く者はほとんどいません。 それでも炭を焼き続けるのは、火の魔力。体を温め、調理し、道具を作り、兵器にもなる火。時には思いもよらない産物を生み、人の支配を凌駕し、忘れていた本能を引き出すこともある火の力に惹きつけられて止まないからなのではないでしょうか。sumi900-007かつて山はキレイで健康でした。木には伐期といって、木を伐るべき樹齢があります。そのタイミングで伐れば、切り株から新芽が生えます。伐った木の根元には太陽の光が降り注ぎ、次世代へ命を継いでいけるのです。こうして人は山へ入りうまく付き合いながら、山と共に生きる知恵を身に付けていました。

おしぎっぱの森と長く付き合ってきたその人には分かるのです。木が光を必死で探し求め、根を張り枝を広げ葉を茂らせる姿が。雨水を思う存分吸収し、喜び歌う姿が。生存競争に敗れ、衰え朽ちていく姿が。sumi900-009木から炭を作るために、火を使います。木が燃えてしまわないのかと不思議ですが、そこに炭の高い価値の秘密があります。

炭焼きは、窮屈な炭窯に炭材を隙間なく並べるところから始まります。これは、高温の空気に晒され灰になってしまわないためです。そして火入れで炭窯の温度をどんどん上げていきます。肌を焦がすほどの灼熱と対峙し、全身汗にまみれて1日2回着替えます。温度が達したら、窯に送る空気を遮断して蒸し焼きにします。煙突に触れ、煙の色とにおい、かすかな音を窺い、じっくり火と語り合います。この段階で、木が炭化して炭となるのです。sumi900-011こうして出来上がった炭は、窯入れした炭材の6割程度しか残りません。窯から炭を出す時は、どんなに塞いでも顔の皺に煤がこびり付きます。煤だらけの笑顔がこぼれる瞬間です。

大量生産など到底出来ません。地道な積み重ねとこの森で築き上げた知恵、そして自然の恩恵への感謝。そのどれが欠けてもこのギッパ炭は生み出されません。

sumi900-013炭もダイヤモンドと同じ元素「炭素」のみから出来ています。炭も磨けば輝く。人が活用することによって価値がより一層光り出します。ナラなどの木から焼かれたギッパ炭は、強い火力が長持ちします。ずーっと温かいのです。しかも、上っ面じゃない。芯からやわらかく温めます。

これだけではありません。この炭の真価はその先にこそあるのです。sumi900-015炭のはぜる音や匂い、とうとうと点る明かりに吸い寄せられ、炭火の周りには人が集い、いつしか人と人との距離が縮まります。会話なんていらない。みんなで同じ炭火をぼーっと眺めるだけでいいのです。

なにより、焼けばなんでも美味い!

炭火を起こすことは確かに不便かもしれません。しかし、手をかけた分だけご褒美が待っています。

木の生きる力。遺されてきた山の恵み。炭焼き人の想い。それらが凝縮されたギッパ炭は、自らが燃えて発する熱で我々に何かを語りかけています。炭火と向かい合い、耳を傾けてみませんか?

 

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